
99年4月
「The Road」
“絹の道(シルクロード)”は東西文明交流の歴史を“絹の交易”に代表させて名づけられました。“絹”が交易品として価値を持っていた時代、“香辛料”が価値を持っていた時代、“お茶”が価値を持っていた時代などなど、時代とともに交易品やルートに変遷があるようです。さて、現代の交易品とロードについて、タイを中心に勝手気侭に書いてみました。
<味の素Road>
タイの人に知っている日本語を聞くと必ず「アジノモト」が含まれます。現在、実際にマーケットに出回っているのは「味王」、「味精」などの韓国製のコピーが多いのですが、どれも「アジノモト」で通用します。味の素の成分はグルタミン酸ソーダで、かつおだしに含まれる“うまみ”です。こんぶだしに含まれるイノシン酸ソーダの“うまみ”とグルタミン酸ソーダの“うまみ”はアジア人が共通して「うまい」と感じる二大成分であるとモノの本には書かれています。タイ、ベトナム、カンボジアなどの魚醤(現地名は順にナンプラー、ニョックマム、プラホック)の成分も同じようです。欧米人はこの二つの“うまみ”に対しての味覚が薄いとも言われています。かくして北はシベリアから太平洋を南下してインドネシアに至るまで、海岸部、内陸部を含めて、どんな地方の食料品屋にいっても“アジノモト”は売られています。オリジンの日本では自然食品ブームで、化学工業製品である“味の素”の人気はすでに廃れていますが、周辺アジアではいまだに人気健在です。アジア人のいるところに“アジノモト”あり。
さて味の素がどのように広まっていったのか、それぞれの地域に特有のエピソードが残っているようです。タイの味の素ロードは、麻薬密輸ルートと密接な関係があります。
タイで密かに囁かれる裏話があります。
「味の素にはヘロインが含まれている。だから、美味しいし、病み付きになるし、中毒になる。」
味の素の拡販戦略のためにヘロインを混ぜるとは到底考えられないことですが、この噂話の根拠はどこからきたのでしょうか。味の素がタイに市場を開拓し始めたのは戦争中のことです。麻薬は日本帝国陸軍の謀略作戦上、重要な戦略物資でした。英国と中国の阿片戦争でわかるように、日本軍も同じように麻薬を利用しました。当時のヘロイン生産地は満州国や雲南周辺など多方面にわたっていますが、いろいろなルートでアジア各地に運ばれました。このルートは軍部の武器、弾薬、補給物資や商人が扱う日用雑貨、各地の農産物・鉱物などを運ぶためのものであります。当然、味の素もヘロインと同じルートを使って運ばれました。味の素とヘロインは、その色といい、形状といい、そっくりです。軍部としても表立ってヘロインを運んでいると言えませんので、味の素や漂白糖、塩、米粉、小麦粉を運んでいるとしていたようです。戦後、この方法がタイ北部国境に逃亡してきた中国国民党残党や麻薬王クンサーによって繰り返されました。荷姿は味の素だけど中身はヘロイン、あるいは10袋のうち1袋はヘロインというふうにして臨検の目を誤魔化しました。実際に味の素と麻薬が混ざり合うことも起きました。かくして味の素にヘロインが含まれている、という話が囁かれるようになったのです。
見てきたような嘘をつくな、とお叱りの言葉を頂戴しそうです。その通りです。でもゴールデン・トライアングル(ヘロインの生産地)と呼ばれるタイ、ラオス、ビルマ、中国国境近辺の山道を歩くと味の素の荷袋がやたらと目につく符牒に、つい“落合信彦”的気分になってしまうのであります。
<裏ビデオ流出Road>
アダルト・ビデオ(AV)を扱う屋台が夜のシーロム通りに十数件ならびます。警察の取り締まりがあるので、いつでも店を畳んで逃げられるように小さなテーブルの上にビデオ・ジャケットの複製写真を貼り付けたアルバム帳を置いています。客はアルバムの中からお気に入りのタイトルを選び、携帯電話でオーダーを受けたボーイが不透明なビニール袋にテープを包んで運んでくるのを待ちます。ちょっと儀式めいています。観察によるとだいたい5分くらいでボーイが到着しますから、シーロムから数百メートルの範囲内に秘密の倉庫があるようです。料金は一本200バーツ(650円)前後です。欧米、タイ、日本、白・黒・黄色、ホモ、レズ、SM、ロリコンとあらゆるものが揃っています。そして驚くことにほとんどのテープにモザイクが入っていないのです。日本モノはタイ人に人気があるということですが、これもモザイクなしです。どのようなルートを経由して日本の裏ビデオがタイに流出してくるのでしょうか。AVロードを辿るヒントをカンボジアで発見しました。
プノンペンの中心にあるニュー・マーケットを囲んでロータリーがあります。このロータリーに面してビデオソフトを扱う店が軒を連ねています。ほとんど海賊コピーですが、一本1ドル(120円)が相場です。最新のハリウッド映画などが僅か1ドルです。まだ知的財産権保護法を正式に批准していないカンボジアですから、堂々と店先にテープをならべて商いしています。さて、テープを物色していると、私のようにスケベそうに見える男性客にはAVセールスの声がかかってきます。段ボール箱の蓋を開いて、中にぎっしりと入れられたセンサーなしのアダルト・ビデオを取上げて、これも一本1ドルだよ、お得だよ、と目配せしながら勧誘されます。ニタッーとしてしまえば、もう相手の術中に入ったようなもの、これでもかこれでもかと鼻先にヌード写真付きのテープをつきつけられます。ただでさえ白昼の陽光と雑踏の砂埃、蒸し暑さに気を失う寸前のところに加えてのヌード写真の陳列は、まさに卒倒ものです。焦点がボヤケルのを我慢してフォーカスを合わせ直すと、日本のAVには中国語のタイトルが明記してあるのに気づきます。「日本小姐昇天」というヤツです。「Japanese Girl’s Climax」と横文字では書かれていません。どうやら原版は、このところプノンペンの街を我が物顔に闊歩して歩く中国系マフィアによって運ばれて来ているようです。そういえば、香港で日本のAVの地下編集やダビングが行われるとよく聞きます。香港から日本向けにはモザイクをつけた検閲版を出し、ノーセンサー版はこうしてプノンペンなどに流れてくるのです。最近のカンボジアは中国系マフィアの天国と言われ、彼らは国籍さえ簡単にお金で手に入れています。そして、マネー・ロンダリング(盗んだり、詐欺で得たり、偽札など使うとすぐに足のつくお金を幾度か変換することによって身奇麗なお金に換える)のメッカでもあります。蛇頭(スネークヘッド)が、日本への不法就労者送り込みの拠点にカンボジアを利用している、という話もあります。ビデオ屋のオヤジに確認すると、テープはやはり「中国人が仕入れてくる」とのことです。
AVロードは続きます。ところはタイ・カンボジア国境にあるポイペト。両国のギャップを利用してビジネスを企む商人の集まる町です。例えばタイでは税金のために高い外国タバコや洋酒が、カンボジアではその三分の一の値段で買えることなどを利用した商売です。また盗難車も国境を越えれば問題ないので、車両窃盗グループも徘徊しています。カンボジア側から##年型のベンツが欲しいと云った注文を受けて、窃盗グループは注文書どおりに車を盗んできます。現在の人気車種はホンダ・アコードで、タイのホンダ車の持ち主は戦々恐々としています。この国境の交易所にもAV屋さんがありました。価格は100バーツ(330円)です。値段から考えるとバンコクから運ばれたモノではなく、プノンペンから来てバンコクへ行く途中のモノでしょう。日本→香港→プノンペン→国境→バンコク、点と線が徐々につながってきました。
邦モノ裏ビデオのルートはこれでだいたいの見当がつきました。日本人がそのテープをお宝発見とばかりにバンコクのシーロムで購入して成田空港で没収されれば全くのお笑い草です。それでは金髪ポルノ・ロードはどうなのか。これにはタイを徘徊する欧米人リピーターなどが関与しているようです。彼らの本国ではもともとモザイクなど入っていませんから、空港の荷物検査に引っ掛からなければ良いわけです。ダビングはタイで行われます。欧米人リピーターたちはそれで商売をしようとするのでなく、タイ人から頼まれて気軽に持ってくるようです。かつて私の友人がゲーセン(ゲームセンターのことだと最近知りました)をバンコクで開店するときに、日本に行ったらお土産にゲームソフトを買ってきて欲しい、とヒツコク頼まれたものです(いまは安いコピーが氾濫しているので頼まれません)。ずぼらな私は友人の依頼を反故にして成田あたりで買ったチョコレートでお茶を濁していたのですが、こうした依頼と同じように欧米人リピーターはポルノビデオを気軽にタイに持ち込むようです。
しかし最近、組織的にポルノビデオに関わる外国人グループがタイに登場してきました。いままでのAVロードは欧米→タイ、日本→タイと一方通行だったのですが、タイ発で世界へ流れるビデオが出回り始めています。制作と流通に関わるのは主に外国人です。それは本国では重罪を課せられるようになったロリータ物です。タイでも児童虐待は罰せられますが刑は比較的軽いですし、何よりもお金で簡単にモデルを調達できてしまう点が彼らのタイ進出を促しているようです。バンコクで少年とのセックスを撮り続けていたフランス人、チョンブリで数人の少女に監禁生活させながらポルノ制作していたカナダ人などの逮捕例は氷山の一角です。2年前にチェンマイでロリータ・ビデオを制作していてお金のもつれで殺害された日本人の事件も思い出します。最近バンコクの有名デパートで盗撮ビデオを撮って現行犯逮捕された日本人もいました。
裏ビデオの話が長くなりました。蛇の道はヘビ、スケベの道はスケベと思われてしまいそうなのでこの辺で止めておきます。しかし、小悪の後ろには大悪がいる、ものです。国と国を結ぶロードには、裏ビデオよりもっとゼニになる“大きな欲望の裏道”があります。
<武器・麻薬Road>
“大きな欲望の裏道”というのは、武器・麻薬ロードです。この話は、不特定多数の人が目にするこのニュースレターでは詳しく語れません。タイ裏社会の核心部に触れる問題だけに迂闊には書けません、というふうに“逃げ道”を作っておいて、武器・麻薬ロードに関する断片的な話を少し取上げてみます。武器と麻薬とが同じロードであるとは言いませんが、大同小異の面もありますので、ここでは並列にしておきます。
タイの新聞を読んでいて、ときどき変に思うことがあります。たまにスクープとして大々的にトップを飾っていたニュースが、次の日に忽然と姿を消してしまうのです。全くのデマだったのか、圧力がかかって紙面から消えたのか、ハテナマーク(?)がともります。最近の?マークはこんなことです。
「タイ軍部がスリランカ反政府ゲリラ・タミールタイガーの武器供給に関与」
この記事は翌日にタイ軍部の否定コメントが出て、そのまま消え去りました。最初に記事を見たとき、なるほどこれは盲点だ、と思いました。アンダマン海、インド洋、そしてアラビア海と海洋ロードは幅広く繋がっています。マラッカ海峡、スエズ運河は関所ですから目立ったことはできませんが、両関所の間は自由航行が可能です(某テレビ局のスワンボートのように沿岸部は駄目ですが)。この海域は確かに何がおこなわれているか、確認のしようが無い。ビルマ沖合いにミャンマー軍事政権が中国に海軍基地を提供しているという未確認情報が流れつづけても、誰も確認できないでいる。イラク攻撃でアメリカ艦隊が湾岸に向かっても、この海域で情報がプッツリと途絶えてしまう。最初に上記の紙面を見たとき「タイ軍部がタミール・タイガーに武器供給していたとしても不思議ではない、重大な国際問題に発展するだろう」と漠然と感じました。しかし、このニュースは沙汰闇になってしまいました。武器、麻薬ロードに関する話は、こんな断片的な情報から想像をたくましくして“落合信彦”的気分に浸るのが楽しみです。
暇だからもうひとつ断片情報を書きます。タイ・ビルマ国境の反ミャンマー軍事政権・解放戦線を取材する機会が幾度かありました。いろんなグループに分かれていて、その生い立ちも規模もマチマチですから一概には言えませんが、彼らは武器弾薬の供給やそのための資金源をどのようにしているのだろう、と疑問に思ったことがあります。カンボジアのポルポト派には木材とルビー、中国やタイの支援があったのですが、ビルマの反政府グループはどうなのだろう。10年ほど前、私が某グループに出会ったとき彼らは中国人民解放軍の軍服をアレンジして着用していました。逆に武器はM−16などアメリカの武器を中心に使用していました。最近彼らに出会ったとき彼らは米軍の放出衣料を着用し、カラシニコフなどのロシア、中国系の武器を多く携行しています。このネジレ現象こそが、武器ロードの不可解さなのです。このグループに資金源を聞くと「支援者から」という言質しか取れませんでしたが、ミャンマー軍事政権や他の反政府グループは麻薬を資金源としている、という非難を轟々と聞かされました。いずれにしても武器、麻薬ロードに暗躍する有象無象の商人やいろんな国の意向を受けた謀略者たちが、そこに存在することには間違いないようです。
<難民Road>
俗に“難民”と一括りに呼ばれる人たちがいます。難民認定法なども国ごとに設けられています。しかし、その生い立ちにはさまざまな多様性があります。私はタイに逃げてきた“日本難民”であると自嘲気味に冗談を言うことがあります。もちろん、好き嫌いは別にして日本国と云ういつでも自由に戻れる場所があるのですから、“難民”ではありません。さて難民の話をすればタイに直接関係するだけでも、ベトナム、カンボジア、ラオス、ビルマ、など枚挙にいとまがありません。インドシナ情勢が安定してきた昨今、ベトナム、カンボジア、ラオス難民の帰還プログラムもほぼ終了しています。難民キャンプに収容されていて帰還プログラムに従って母国に帰った人たち、すでに外国籍を得て母国とその国の経済格差を利用してビジネスを軌道に乗せた人など、ケースByケースで悲喜交々の“難民ロード”があるようです。
ラオス難民でオーストラリア国籍を得たA君は、タイを拠点にしてラオスへの投資を企むビジネスマンたちのコンサルタントの仕事を始めました。ラオス国内に残っているたくさんの親戚や同級生などの人脈を使って、欧米・日本のビジネスマンの要求に対するアレンジを要領よくこなしています。外国のビジネスマンたちには見えない陰での努力もしているようです。プライベートで彼と一緒にビエンチャンに行ったときのことです。朝から夜遅くまで、まず一人でいることはありません。宿泊しているホテルには、入れ替わり立ち代わり知人が訪ねてきて、彼が食事や飲み物をごちそうします。訪問者が無いときは、自分から手土産持参で知人の家に世間話をしに行きます。彼と行動をともにした初日に私は延々と続く飲み食いで吐き気をもよおし、急性アルコール中毒、激性下痢状態になってしまったほどです。「ラオス人とこういう付き合い方ができなければビジネスが成功するわけがない。残念ながら、外国人にはそれができない。だから僕の存在価値がある」というのが彼の持論です。「自分は外国に居ることでラオスとの経済格差、情報格差を弄ぶことができる。それが強み。今後ラオスと外国との経済格差、教育格差をなくしていきたい。矛盾しているかなあ」という彼の当面の標的は、ラオス政府に接収されたルアンプラバンの実家を交渉して取り戻すことです。人脈作りの過剰飲食で体を壊さないように、そして実家を取り戻すためやビジネスのために政府高官に「ノーパン・しゃぶしゃぶ」的な接待をしないように祈っています。教育格差が無くなってくればラオスでも「ノーパン・しゃぶしゃぶ」は非難攻撃されるでしょう。
かつてカンボジア難民キャンプで取材したことのある人たちと偶然にカンボジアで再会することがあります。S君もそんな中の一人です。S君に難民キャンプで出会ったのは、国連の帰還プログラムに異議を唱え、最後まで帰国を拒否していたグループを取材したときでした。その時の彼らの主張は「カンボジアに戻っても安全の保障はない。われわれはベトナム人と抵抗してきたのだから、カンボジアに戻ればベトナム人に殺される。我々は、難民として第三国に市民権を得て居住する権利があるはずだ」というものでした。そのときキャンプ内での車両の使用は制限されていたため、案内役、三脚・機材運びとして現地採用したのがグループに属していたS君でした。以降、抵抗にもかかわらず彼らは国連によって強制帰還させられたのですが、ベトナム人に殺されることもなかったようです。S君とカンボジアで再会したのは、カンボジア国会前のデモを取材したときでした。彼はタイの新聞と契約するカメラマン通信員としてカンボジアでたくましく生きていました。彼は難民キャンプで私たちに出会ったことを良く覚えており、それが現在の職を選ぶきっかけにもなったといいます。S君との再会は、こちらも勇気づけられる喜びでした。
日本のテレビ局には数々の難民取材のテープが保存されているはずです。過去の記録に残る彼らとの再会ドキュメントなんてテレビでは受けないでしょうか?
<出稼ぎRoad>
日本円が1ドル360円だった頃、北欧のレストランでの皿洗いの給料を円換算すると30万円にもなりました。日本では新卒の月給が3万円の時代です。海外に大志を抱く日本の若者は、シベリヤ鉄道に乗って北欧を目差しました。もちろん不法就労は覚悟の上です。
タイの人が日本や欧米に出稼ぎ先を見つけようと奔走するのもこうした経済格差の故です。ただし、日本の若者の海外雄志は自分を磨くためであり、本国からの送金を受けるケースはあっても本国へ送金したケースはほとんどないでしょう。タイの出稼ぎは家族への送金を第一目的にしています。チェンライの近くにジャパユキさん村と揶揄されるところがあります。日本からの送金で建てられた立派な家が建ち並んでいます。コンケーンのジャン村は俗称スイス村と呼ばれ、スイスに出稼ぎをした娘たちの送金で成り立っています。ドイツ村、アメリカ村、香港村、台湾村、があってもおかしくありません。出稼ぎで成功した人のツテで同じ村の出身者が同じ国に行くケースが多いのでこのような現象が起こります。
以前にドライバーをしていた知人が急に羽振り良くなったので近況を聞いてみると、ブルネイへの集団出稼ぎをまとめるブローカーをやり始めた、といいます。工事現場などへ集団で人夫を送り込むのですが、聞いてみるとかなりのピンハネ率です。問いただすとリスクの代償だと臆面もなく答えます。何でも前のグループは、飲酒の禁止されているモスリム国ブルネイなのに飯場で密造酒をつくっているのを見つかり、契約解除され、その穴埋めに多大な損害を被ったとか。そうしたリスクをカバーするのがブローカーなので高率のピンハネは当たり前である、ともっともらしく説明していました。出稼ぎブローカーに碌な奴はいないのが定石ですから、あまり信用していませんが…。
さて逆にタイに出稼ぎにくる周辺国の人々も増えています。入国管理事務所の留置所に行けばビルマ人、ラオス人、カンボジア人などの不法就労逮捕者がところ狭しと拘留されている光景を見ることができます。“経済難民キャンプ”と形容したいくらいです。彼らはタイ人も敬遠する3K職場で働いています。女性の場合は売春やメイドなどで糧を得ます。最近は中国・雲南からの出稼ぎ娘が急増しています。タイ人よりも色の白い彼女たちはタイ男性に好まれているようです。いずれ雲南に“タイ村”ができるかも知れません。ルーマニアやロシアからの出稼ぎ娘もいます。そして高級クラブの生バンドはフィリピン人出稼ぎの十八番です。…。
水は高いところから低いところに流れます。“出稼ぎロード”は低いところから高いところに流れます。ビルマ人やラオス人はタイへ、タイ人は日本や欧米へ、より高い収入を求めて移動します。経済の活況は流動的ですから、逆転する可能性もあります。香港には毎週日曜日になると数百人のフィリピン人が三々五々集まってくる波止場があるという話を聞きました。はるか故郷の海を見つめ、異郷の身をお互いに慰め、励ましあうことで、心の傷を癒すというのです。テレサテンが生きていたら“望郷波止場”という内容の歌を唄えばアジアで大ヒット間違いなしだと思います。ちなみに私は“望郷酒場”にたむろしています。
<アニマルRoad>
オーストラリアに行ったことのある方は経験されていると思いますが、着陸前の殺虫剤攻撃には閉口します。エアー・ホステスたちは荷物棚をすべてオープンして殺虫剤スプレーを噴霧して機内を歩きます。もちろん乗客は座席に座ったままです。薄汚れた風体の私などには直接に噴霧せんばかりの目つきで頭上の棚にスプレーしていきます。戦後の焼け跡闇市でシラミやノミがわいたといって頭からDDTを降りかけられた少年たちの屈辱感のホンの一部でも味わったような気分です。オーストラリア大陸には動植物に固有種が多く、他の大陸の種を持ち込まないための防疫だということです。検疫も非常に厳格で、果物の類などは一切空港で取上げられることになります。それにしても機内の殺虫剤攻撃にどれほどの効果があるのかは疑問です(機内でバルサンを焚くのなら別ですが)。白豪主義の伝統は動植物に残っていました。
防疫にいくら苦慮しても生命力のある種は増殖し、逆に競争力の無い種は滅びてゆく宿命にあると思います。今はどうなのか、子供の頃にスルメでアメリカザリガニを釣る遊びに興じたことがあります。ハサミと図体だけが大きくて中味はなく、食べられないのと稲の苗を傷めてしまう動物なので、お百姓さんたちも勝手に田んぼに入って遊ぶ子供たちを黙認してくれました。名前のとおり、外来種のアメリカザリガニはかつて日本には生息せず、一気に日本国中を占拠してしまった種です。航空機、船舶、車輌などの交通運搬手段の増加で昆虫や小動物などの“アニマル・ロード”の増加拡大は予想されることです。逆に大型動物は生息地を奪われるようになりました。「日本でタイネズミがヤマトネズミの数を追い越す」、「タイでニホンゴキブリの大発生」というふうなニュースが出てくるかもしれません(そんな種別があるのかどうか知りません)。種の保存や害虫の防疫はそれなりに重要なことですが、そのための方法論は殺虫スプレーを噴霧することではない、と声を大にして言いたいのであります。
タイでの希少な動植物の密輸や象牙、動物漢方薬の話を書くつもりだったのですが、オーストラリアの殺虫剤スプレー噴霧のことを思い出したら急に腹立たしくなって収拾がつかなくなってしまいました。頭から読み直してみると、現代のシルクロードについて格調高くまとめる意図が完全に外れてしまっています。ここは軌道修正して早く筆を納めたほうが良いようです。
<まとめ:アジア・ハイウェイ>
国境を越えてユーラシア大陸を東西南北に走るハイウェイ網を建設するという大プロジェクトがスタートしたのは随分前のことです。残念ながら未だに貫通していません。いろいろな地域紛争、民族紛争、宗教紛争などが障害になっているようです。このアジア・ハイウェイ・プロジェクトの青写真は、かつてのシルクロード隊商路を上書きしています。現代人がシルクロードの東の果ての日本にペルシャの楽器を発見して感動を覚えたように、未来の人々がアジア・ハイウェイの遺跡巡りをしたときに感動できる遺物を残していきたいと思っています。アジア・ハイウェイの遺跡からは戦争の残骸と数々の武器、コカコーラの空缶しか発掘されないようでは寂しすぎます。