[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」
被災地ルポD 「ザ・ビーチ ピピ島」
12月29日。
プーケット島のヨット・ハーバーから高速ボートに乗ってピピ島に向かう。
YAMAHAの80馬力エンジンが3基も付いたボートは、波間を飛び跳ねて船底がバンバンと音を立てながら進む。座席で腰を浮かせていないと尾てい骨
をうちつけそうなくらいにグラス・ファイバー製のボートが跳ねる。
ピピ島といえば、レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」の撮影舞台となったところである。自然保護活動グループと映画産業・地元観光業者が
対立し、話題になったのは2000年3月のことである(雑記「ザ・ビーチ」)。
津波という
自然の破壊力は、問題になったピピ島の環境汚染を嘲笑うかのように強烈である。自然は、人間の営みに対しての治癒力と破壊力を持ち合わせている。それは残
念ながら人智を超えている。
自然の法則から学び、それをコントロールできると過信した近代科学の愚挙。
自然の法則から学び、それに依存して恩恵を享受する
ことで良しとする伝統的農耕・狩猟・採集・漁労民の智恵。
伝統民たちは、近代経済構造からスポイルされ、あるいは影響を受けて堕落し、目を覆うばかりのミ
ジメな生活を送っている。バンコクまで出てきて加工品を売り歩く山岳民族、芸を披露して餌代を乞う象使いたち、・・・。
プーケットのシー・ジプシー(漂海民)たちも、漁労にでることよりもツアー客が訪れることを待ち続ける生活を送り、潮焼けで精悍な体ではなく、モスリム
なのにアル中と化して酒焼けで腹肉がだぶついた醜体をさらしている。もう二度とプーケットの漂海民に会うまいと想ったのは、いつのことだったろうか。
しか
し、その堕落したはずの漂海民たちは、異常な潮の退きかたを見て津波の襲来を予知し、安全な丘の上に退避して難を逃れた。観光客を載せた象が、波の来る前
に突如暴走して、結果的に観光客たちの命が救われたというエピソードが今朝の新聞に載っていた。普段、怠惰を貪るままにしている野良犬たちも、一斉の咆哮
とともに海岸から内陸部へ駆け去ったという。
野良犬の警告は、浜で戯れる現代人には通じなかった・・・。
病に満ちた現代社会のアンチ・テーゼとしての楽園「ザ・ビーチ」。映画に描かれているそれは、社会病理を解決せず、そのまま風光明媚なビーチに逃避した
だけで、「真
の楽園」を僕に提示してくれない。漂海民の五感、象の五感、野良犬の五感を身につけてこそ、ビーチは「楽園」足り得るのではないか。逆の言い方をすると、
人々は失った五感を取り戻そうとピピ島へ詣でる。皮相にも、自然はそういう人たちを襲った。
ピピの島影が目前に迫ってくる。
被災者や収容された遺体を運ぶヘリが慌しく離発着を繰り返している。
ピピ島の被害は、トンサイ・ベイとローダラム・ベイに挟まれた砂州状の海岸に集中している。天の橋立のような砂洲にホテル、バンガロー、ショッピング・
センターが所狭しと立ち並び、両湾から押し寄せた津波がそれらを一飲みにした。
砂洲というのは、流れによって、その姿を変化させる地形である。
そんな危うい地盤の上に、よくぞここまでというぐらいに観光資本は投資を繰り返した。
文字通り、「砂上の楼閣」。
儲かれば資本は投資する。投資があれば施設は整い観光客は集まる。観光客はお金を運び、ますます資本投下が進む。こうした経済循環が、ピピ島で始まって
10年と経たない。
開発は経済優先だけでは駄目である。 もちろん経済は重要なファクターであるが、それだけでは拝金主義の「砂上の楼閣」をあちらこちらに作りだすだけの
ことである。
自然発生的に生まれた人々の営みを行政が規制し、行政指導というものを施行することはあまり好きではない。それは行政指導というものが、個人の自然な営
みを束縛し、為政者や大資本の既得権益のみを護ろうとする姿勢に充ちているからである。
普通なら国立公園に指定されているピピ島は公園保護法ゆえに「砂上の楼閣」が生まれる余地はないはずである。大資本、小資本に拘わらず、ピピ島乱開発は
御遠慮くださいというのが行政指導である。しかし、行政は権力者や大資本、高額納金者に特別名目でピピ島でのホテル建設許可や営業許可を与え続けた。その
結果、この大惨事である。瓦礫の下でうめき、海の藻屑と消えた犠牲者の霊を弔うためにも、今度こそ「砂上の楼閣」ではない復興を手がけて欲しいと願う。
かろうじて形骸を残す高級ホテルの部屋に、飼い主の姿を探す子犬がク〜ンと鼻を鳴らしていた。
ピピ島先住民はモスリムで宗教的に犬を嫌う。島に一匹残っても誰も世話をしてくれないだろうとコーディネーターのB氏は、子犬をボートに乗せる。子犬は
「ピピ」と名づけられた。
(続く)
