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今夜の番組チェック
被災地ルポC 「カオラックのハネムーナー」
12月28日。
朝7時、東京から飛んできたディレクターO氏、リポーターT氏とドムアン空港で合流。
8時すぎ、プーケット空港に到着。
プーケットのツアー・コーディネーターBさんと合流。
その足でプーケット島から北へ70km離れたカオラックへ。
プーケット島のリゾートといえば、パトン・ビーチやカロン・ビーチが有名である。カオラックは、スキューバ・ダイビングで知られるシミラン島への拠点と
して新しく開発されたリゾート地である。パトンやカロンのビーチに較べて静寂であり、近年人気が集まっていた。
タイの事件・事故現場では、どこでも華人系レスキュー隊の姿を多く見かける。報徳善堂という民間レ
スキュー
をこのHPでも紹介したが、同様な組織が全国
各地から続々と被災地に集まってきている。レスキュー隊のピックアップ・トラックには、白い布にくるまれた遺体が積まれ、収容場所となっている寺院へ運ば
れる。カオラックへ向かう道中ですれ違うレスキュー隊のトラックの数の多さ。ほとんどの荷台に載せられている複数の遺体。これは並大抵のことじゃないと気
を引き締める。
突然、猛スピードで逆走してくる車輌やバイクの群れ。レスキュー隊はサイレンを鳴らしている。
「津波がくるから帰れ!逃げろ!早く!早く!」
と口々に叫んでいる。エッと生唾を飲むと同時に、カメラのスイッチをON。ニュース屋の愚かな習性。
O氏も、T氏も、アドレナリン全開で動いている。
Uターンか、前進か、ともかく情報がない。
近くの小さな寺院に飛び込んで、警察本部からきている連絡官に情報確認するが要領を得ない。
その小さな寺院にも、百を超える遺体が所狭しと並び、さらに次々と運ばれ続けている。音信の途絶えた身内の確認にきた人たちで、ざわついている。家族あ
るいは知人を確認したのだろうか、ところどころで叫喚と号涙が聞こえる。カオラックの遺体収容本部はワット・ムアンで、この寺院ではない。新たな津波情報
も不明者情報もここでは分らない、混乱している、ワット・ムアンに行って聞いてくれ!憔悴しきっている連絡官を、より混乱・憔悴させるのを止める。
B氏が得た情報では、被災した海軍施設の不発弾が危険な状態にあるので退去命令が出た、それが津波再来と誤って伝わり、人々がパニックになったらしい。
大災害のあとに起こるパニック、例えば関東大震災直後に起きた暴動で謂れなき被抑圧者たちが殺害されたという悲劇が脳裏をかすめる。パニックが変な形で起
こらないことを願う。
カオラックの海岸を見渡せる峠に着く。
このあたりは高場にあって建物が津波にやられずにすんだために、臨時の避難シェルターとなっていた。かろうじて難を逃れた外国人旅行者たちは所持品を流
されて着の身着のままである。シェルター内は息が詰まるのだろうか、路端の木陰に腰を下ろして途方にくれている。体中の擦り傷が痛々しい。まずは重傷者か
らプーケット市内の病院へ運ばれている。怪我をしていても、家族が見つかるまではカオラックを離れないと、頑なにプーケットの病院に行くのを拒む人も多い
という。体の傷だけでなく、心の傷もが充満していて息苦しい。
話を聞くのを後まわしにして、被災現場へむかう。
瓦礫の山、無残な姿で横転している車、海岸から1キロ以上離れたところまで打ち上げている船、おし倒れ毛根を陽光にさらしている椰子の木々、・・・、抗
えない自然の力に圧倒される。
瓦礫のあちらこちらに、手や足がのぞいている。死臭は辺り一帯に充満し、おぞましいハエが群舞し、私の汗にまとわりつく。今は穏やかな渚や
煌めく海面が惨禍を嘲笑っているようで憎らしい。
叫び声が聞こえる。
到着したばかりの韓国の家族が、瓦礫の下の肉親の遺体を掘り出そうとしている。
倒れたコンクリートの壁の隙間に半身だけが見える。その水着から本人であると確認したのであろう。
ハネムーンでカオラックにきた息子夫婦。韓国からこのホテルに2組の新婚旅行を送り込んだ旅行代理店の案内で、家族はこの場所に直行してきた。
「アイゴ〜!」
泣き叫びは、苦痛や悲しみを紛らすためであり、苦痛や悲しみそのものがなくなるわけでない。
T氏がいたたまれなくなって、遺体に覆い被さった瓦礫の撤去に手を貸す。
こういうときにカメラをまわしながら、いつも悩んでしまう。カメラを置いて、作業を手伝うべきかどうか。人間性を問われる瞬間。でも、僕はカメラを置け
ない。カメラで記録することの価値を認めている人は、それを容認してくれるだろう。しかし、本当にそれだけの価値があるのだろうか。その煩悶は、カメラを
職業とする人がみんな感じることなのかもしれない。
犠牲になったハネムーナーと家族の方たちに、ひたすら合掌。
犠牲者の数が1万を越えた、5万に届いた、いや10万を超えるかもしれないと拡大修正されるなかで、数字上の話で片付けられないこうした新婚旅行者とそ
の家族のようなひとりひとりの人生がある。何万人ものひとりひとりの人生に想いを馳せること、可能であろうとなかろうとその努力はしたい。
カオラックの遺体収容本部ワット・ムアンへ行く。
横たわる数百の遺体を直視できず、それぞれの人生、ひとりひとりの人生、と呪文のように呟きながら、そこに居る事を耐える。
しかし、行方の知れなくなった肉親を探す者にとっては、ひとつひとつの腐乱しかけた遺体をつぶさに見て、探し求める者の特徴を確認するという二重三重の
責め苦の場である。津波発生から二日、この暑さを考慮すると日に日に状況は酷くなることが容易に想像できる。まだ現地に着いていない多くの不明者の家族た
ちが、この遺体安置所の状況をみると卒倒するのではないかと思う。
ニュースの締め切り時間の関係もあり、カオラックからプーケットへ急行し、プーケット県庁舎に設けられた被害者のための各国窓口へ行く。
県庁舎の芝生に座り込み途方に暮れているオーストラリア人Dさんに出会う。
彼はピピ島で津波の被害をうけ、レスキュー・ヘリでプーケットに運ばれてきた。日本人の奥さんYさんとは行き別れたままである。
自分は命からがら何とか生き延びることができたが、あのときコンビニに買い物に出かけた妻は・・・。
話の途中に何度も、ため息が漏れる。
バンガローから一歩足を踏み出せば、そこは白い砂浜のビーチ。エメラルド色の海と白いさんご礁。
そんな絵に描いたような楽園が、一瞬にして地獄図絵の世界に変わるとは、誰も想像できなかったはずである。
明日は、ピピ島へ行く。
(続く)
