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被災地ルポB 「被災地への想念」

12月27日。バンコク

津波が発生して1日がたつ。
タイのテレビやネット情報にかじりつきで寝不足。
体調は今ひとつ、それと、薄っぺらな財布の中身を繰り返し覗いて、現地に行くべきかどうか逡巡し、ため息をつく。
行くとすれば、何処?
スマトラ島アチェ
 いままでアチェに行きたいと想い続けてきた。アチェの独立を悲願としてインドネシア軍と戦いを続けるアチェ自由運動(GAM)。アチェに対しては厳格な 取材規制を続けるインドネシア政府。インドネシア軍から虐待され国外に亡命したアチェ人たちから聞く話とインドネシア政府発表情報の大きな食い違い。2年 前に非常事態宣言が出され、インドネシア軍による大規模なGAM掃討作戦が行われ、外国人はほとんど入れず、潜行を試みたジャーナリストは軍に逮捕されて いる。何が起こっているのか実際に見てみたいと思い、何度かアプローチしたが適わなかった。
 震源から近く、津波被害はかなり大きいと予想される。インドネシア政府も取材規制どころではないだろうし、GAMも一時休戦だろう。虐待を受け反軍感情 の強いアチェ人たちは、インドネシア軍の救援活動をどんなふうに受けとめるのだろう。いままでインドネシア政府から入域や活動を許されなかった国際援助機 関も、この機会に大挙してアチェで活動を始める。それが、アチェにどんな変化を及ぼすのだろう。アチェという政治的に複雑な地域の状況は、救援活動も一筋 縄ではいかないだろう。だからこそ、取材する意味もある。出会った亡命アチェ人たちは、いま何処で何をしているのだろうか。
プーケット:
 バンコクに住む私が年末年始の休暇プランをたてるとき、プーケットは候補地のひとつである。
 幸か不幸か最悪の経済状態ゆえに今年はアパートで年を越すことを余儀なくされ、古本とVCDを大量に買い込んで不貞寝をしていた矢先にこの惨事である。 そういえば知人の何人かはプーケットへ行くと言っていたが大丈夫だろうか。
 プーケットには何度か行っているが、テレビで流れ始めた現地の様子を見て、その変わり果てた姿にただ絶句。まだアプローチの容易なパトン・ビーチなどの 映像だけだが、ピピ島などもかなりの被害であることをニュース・キャスターは伝えている。
 かつてプーケットで取材した事故を思い出す。
 ダイナマイトを搬送していた軍のトラックが横転して爆発、周辺住民100人あまりが巻き添えになり亡くなった。白い布に包まれ、路上に並べられた100 あまりの遺体。直視できずに、天を仰ぐと陽光が眩しかった。
 いまテレビから流れる惨状は、そのときをはるかに凌駕している。
 冷静でいられない。
スリランカ:
 スリランカには知人がいる。
 バンコク・ベースのジャーナリストMは、年末休暇で故郷のスリランカに戻っているはずである。
 Young Asia Televisionというスリランカのメディアの仕事をいただいてフィリピンや香港などで取材をしたことがある。
 スリランカはアイ・バンク運動の盛んなところで、世界各地へ角膜の供給源である。角膜は死亡直後に摘出して保存しないと移植に使えない。角膜ドナー登録 が各地に組織され、多くの人が無償で角膜を提供している。仏教の死生観ゆえか角膜提供に抵抗感がなく、またスリランカで「アイ・バンクの父」と慕われる故 ハドソン博士やその夫人の永年の活動の成果でもある。某テレビ局のドキュメンタリーで取材したことがある。
 昨年(2003年)末に国連の貧困対策プロジェクトの記録のために、いくつかのスラムを歩いた。
 日本人観光客グループが災禍に巻き込まれた可能性があるとして、日本のニュースでもスリランカの被災状況はプーケットに次いで多く流れている。
 スリランカ政府と戦闘を続けるタミル・タイガーの支配地域は、どうなのだろうか。
 外遊中のクマラトンガ大統領が「Tsunamiって、こんな被害になることを知らなかった」と発言し、急遽帰国の途についた。
 普通の人は知らなくても許せるけど、知っていて欲しいんだよね、上に立つ人には。
インド:
 インド洋沿岸のタミル・ナドゥ州など被害甚大。
 ここにも友人が帰省している。電話は通じない・・・
  ニューデリーに支局を持つ外国メディア、例えばBBCなどからインド軍の救援オペレーションの同行レポートが届く。現地にベースを置く強みというのは、こ ういうときに発揮される。日本のテレビ局でニューデリーに支局を置くのは国営放送のみ。しかし、たぶんインドの沿岸部ではなく、日本人が犠牲になった可能 性のあるスリランカへ飛んでいるんだろうな、やっぱり。 
バングラデシュ:
 今回の災害で最初に連想したのが、かつて取材したバングラデシュの高潮災害のこと。
 ブログで書いたことを引用する。
[1991年にバングラデシュでサイクロンの高潮被害で14万人の死者 がでる大災害がありました。あるNGOが日本への通信が途絶えたためにバンコク経由で 東京に情報を送る必要ができ、及ばずながら私も中継役を引き受けたのですが、送られてくる現地情報は本当に悲惨なものばかりでした。そういうことでコック ス・バザールやチッタゴンなどの被災地に直行しました。例年のように高潮被害を受けるバングラデシュですから、当初は耳を傾けてくれる日本のマス・メディ アはなく、私の取材にスポンサーはつかず自費取材です。現地の惨状が映像として次々に出て、死者が十万人を超えることが報道され始めてから、ようやく日本 のマス・メディアが現地に取材班を送ってきました。そういうふうに耳目が集まって、消防庁レスキュー隊とヘリコプター派遣、政府緊急義援金発給などが次々 と発表されました。
1991年の高潮大被害が起こる前から、バングラデシュで高床式のサイ クロン・シェルター建設の必要を訴えてきた人たちがいました。上記NGOもそのひとつです。皮肉にも14万という犠牲者が出てから初めて、それを建設でき る予算と環境が整いました。
14万という数字に左右されるマスコミの功罪もあります。]
ビルマ:
 極端に少ないビルマの被災情報。
 ブログに書いたように僕の名前が軍政のブラック・リストに残っていて、12月に入国できずに悔しい思いをしたばかり。
 今回は「ス・・・」の音も発しませんから、被災者の窮状を世界に伝えさせてくださいと申し込めば入国させてくれるだろうか。
 ラングーンやモールメンの港で見た鈴なりの乗客を載せたオンボロ・フェリーを想いだす。ひとたまりもないだろうな。
 情報がカーテンに包まれて見えない分、直接に出会って無事を確かめたいのは、この国の人たちなんだけどな。逡巡。
モルディブ:
 地球温暖化の影響で沈没の危機に直面するモルディブの大統領の活動をドキュメントしたことがある。
 あの平均標高で津波に襲われればとイメージすると恐ろしくなって、想念を振り払うようにタバコに手を出して震える手で火をつけた。

 私の逡巡を破るかのような電話、
「体あいてますか?プーケットなんですけど・・・」
「行きます!」
  ああ、自分では何も決められない優柔不断で駄目なヤツ。
(続く)

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